【仮面ライダー響鬼】四十一之巻『目醒める師弟』

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惜しい!
あまりに惜しい回です。

個人的には何回か見直してみて、ちゃんと丁寧に作られていて、けっこう面白い回だとは思ったのですが・ ・・
でも、いくつかの大きな違和感のせいで、作品自体の印象(ファーストインプレッション) がすごく悪くなっているようです(特に旧響鬼ファンに)
あまりにもったいない・・ ・

作品を弁護する・・・というわけではありませんが、 見受けられたその違和感について書きたいと思います。

(以下ネタバレあり&長文です)


その作品の大きな違和感。

私が感じたものだけではなく、いろんなブログの記事で書かれているものをトータルしてみますと、 以下の4点に大別できるようです。

(1)あきらの変身。何あれ!?
(2)あきらが「鬼をあきらめる」という展開はひどい!
(3)ヒビキさんが、軽薄すぎ!
(4)”明日夢の弟子入り”なんでもっと感動的に描いてくれないの?

●あざとすぎる”引き”の手法

まず(1)の”あきらの変身”の描写についてですが。

変身したと思ったら、即魔化魍の攻撃を受け、あっという間の退場・・・
顔を確認するヒマもなかったという。
登場時間は5秒にも満たなかったのではないでしょうか。

実に2週に渡って、引きに引きまくったあげくのこの描写。
これは確かにあざとすぎますね(^^)

まあ、白倉&井上コンビのこういう引きは今に始まったわけではなくて、 555なんかでも多用されているわけで、
製作スタッフからしたら視聴率アップのためのある意味確信犯的なシーンだとは思うのですが。

でも、それは、”あきら” というキャラクターへ思い入れしているファンからしたら、かなり悲しい描写ではあります。

あきらが、どういう鬼に変身するのか。
そして、どういう活躍を見せるのか。

そういうモノをファンは大期待していたわけで・・・

それを見事に裏切られれば、やはり印象は悪くなりますよ。
それも巻頭いきなりですからねー。

この描写が、かなり全体の印象を悪くしているという気がします。

キャラクターを、一つの道具として扱う傾向にある、 新体制の悪い面が出たようなシーンだと思います。

あきらの決意

そして、次に「鬼をあきらめる」という決意をしたあきらの件です。

この決意にいたる、あきらの苦悩については、三十六之巻「飢える朱鬼」からずっと描かれてきました。
その過程は、確かに丁寧に描写されているとは思います。

ただ個人的には、その決定的な理由がはっきりと伝わってこなかった気がするんですよね。
分量的には、確かにいろいろと描かれてはいるんですが、
そのほとんどが、
”唇をかみしめて苦悩するあきら”の表情を映すのみで。

彼女が、朱鬼の件・そして師匠イブキとの交流を経て、何を思い、どう決意したのかが、 私には今イチはっきりわからなかったのですね。

脳内補完によるならば、

多分、鬼になる動機が”復讐” である自分は鬼である資格がないと思った

ということなのでしょうが、

それならば、それで、その挫折を、もっと説得力をもって伝えてほしかったですね。
彼女の本心を心から吐露するシーンがあればなあ・・・

師匠のイブキのセリフではないけど、「君の本心をもっと伝えてほしかった」とは強く思います。

もちろん、あきらが自分で考えて至った結論であれば、それは尊重するべきだと思いますし、結論自体は、 それはそれでありだと思うのです。
その決意を告げるシーンのあきらの表情はとてもさわやかで、そのシーン自体も魅力的でしたし。

ただ、そういう説明不足な点が、どうしても”挫折” っぽくみえてしまう点は否めませんね。

個人的には (多くのファンの方がそう考えていると思うのですが)、やはり、そういう自分の中の” ”の部分を見つめ、そしてそれを乗り越えて、再び歩み始める・・・

そんな

再び”鬼”として始まるあきらが見たかった。

と思います。

でも、これからもあきらは登場するみたいなので、鬼としてではなくとも、また別の道を見つけて、 あたらしく歩みはじめる彼女は見れるかもしれませんね。
というか、そういうあきらの始まりを描かないと、彼女がかわいそうすぎるというか。
そっちの方がまたうまく描かれるかもしれませんので、今回の結末だけ見て、ダメだ!と結論つけるということは、私はしないでおきます。

今後の彼女の描写には注目ですね!

ヒビキさんの”弱さ

で、次は、ヒビキさんの描写の件です。

このお話での、ヒビキさん。
確かにすごくチャラチャラして、軽薄そうに見えますね。

明日夢や京介の訴えにまともに向き合ってくれないし。

こんなのヒビキさんじゃない!

そういう印象を持たれた方多かったのではないでしょうか。
(私も最初はそうでした)

でも、何回か、このお話を見返すと、別のことに気づいたのです。

ヒビキさんのあのふるまい。

あれは、ヒビキさんが自分の中の動揺を隠すため、わざと軽薄に軽くふるまっているんじゃないか?と感じてしまって。
というか、 そういうふうに演出されていると思うのです。

なぜそう思ったのかというと、

たちばなで、明日夢と京介が問い詰められるシーン。
あそこで、京介の後、明日夢が鬼になる覚悟を問われて、
「僕も本気です・・・」ということを述べるカットがあります。

そのカットの後、 一瞬ギョっとするヒビキさんの表情がインサートされます。
このカットは、多分、ヒビキさんの明日夢の言葉に対する心の動揺を表しているのですね。
ただ意味もない、雰囲気だけのちゃらちゃら描写なら、 こういうショットはありえないと思うのです。

ヒビキさんは、明日夢や京介の発言を気にしているのですね。
そして、内心、突然の事態にうろたえている・・・

内心では大ごとだと思っているけれど、それを隠すために、 ああいうふうに軽くふるまっているのだとすると、なんとなく納得がいきます。

思えば、30話以降の井上脚本では、ことさらに響鬼さんの人間味。
人間としての弱さの部分が描かれてきたように思うのです。

例えば、前話でのイブキの

「怖いんじゃないですか?弟子を取って深く関わっていくのが……」

というツッコミとかね。

今回の軽薄さも、そのヒビキさんの人間としての弱さを描くための計算だと思います。

でもそこには何かが欠けているんですよね。
何は欠けているかというと
ヒビキさんというキャラへの”思いいれ”です。

”ヒビキさん”というキャラはどういうキャラか?

いうなれば・・・
ヒビキさんは、「あすなろ物語」でいうところの”ひのき”だと私は思います。

で、明日夢は「あすなろ」ですね。(ここの”あすなろ”というのは「あすなろ物語」の“決して檜になれない悲しい木”というニュアンスではなくて、 ”明日を夢みて生きていく自分の姿”という意味です。)

で、過去にみんなと同じような、いろんな悩み・苦しみを経験し、それを「鍛えてがんばる」ことで、克服してきた人。

だからこそ、 明日夢やあきらといった悩める少年たちの目標たりうるし、 そのヒビキさんに憧れ、それを目指す明日夢の物語=響鬼という物語だと思うのです。

五之巻「熔ける海」での、

ヒビキさんって、なんか不思議な感じだよね。
そうそう、イイ感じ!
つい、いろんな悩みとか相談にのってもらえるってゆーか・・・

というモッチーのセリフが、ヒビキさんの魅力を一番よく説明していますね。

ヒビキさんの魅力。 
それは、 挫折や苦悩といった経験を背後にした上でのあの軽さ・包容力なのでしょう。

そういう"ひのき”である彼を、”悩む人”と描くことに違和感があるのだと思います。

で、ここで一言書いておきますが、井上脚本のこの計算は決して間違っているわけではないんですよ。
普通のドラマではそっちの方が正攻法といってもいいぐらいで。
特に白倉P&井上コンビの平成ライダー路線では、この苦悩するキャラというのは成功した方向ですし、 彼らがそういう方向性を取るのは
ある意味当然かと。
むしろ、キャラに思い入れして、そっちの方に流れる情動的な演出の方が異端なんですよね。

ただ・・・

こと響鬼に関しては、その異端な部分が、 すごく魅力になっていたわけです。

ですから、イブキ・トドロキといった若い鬼たちの苦悩・葛藤といったものを描くに関しては、全然オッケーなのですが、ことヒビキさんだけは、 前路線の、包容力のある・余裕のある存在という描写を貫いてほしかったと思いますね。

●明日夢の今後

で、最後に明日夢の”弟子入り”についての感想です。

これも、激しく評判が良くないみたいですねー。

この件に関しては、正直、結論を保留したいです。

なぜかというと、

前のレビューのコメント蘭にも書きましたが、恐らく、 今のスタッフの描きたいことは
弟子入りすること自体ではなく、”その後明日夢がどうするのか?”
だと思うから。

ですから、今後の展開を注目してみたいと思います。

でも、ラストには、みなさんが期待しているような、” 明日夢の自立”が絶対に描かれると思いますよ。
そのラストを盛り上げるために、わざと今回なんかはさらっと流しているんではないかなあと。

ラストは、今の噂だと、”オロチ”VS ”関東11鬼”といった展開になりそうで、 そっちはそっちで激しく期待してしまうのですが、それだけではなく、明日夢とヒビキさんの話にも、 ちゃんとした感動の結末が描かれるはずです。
というか信じてます!

そうでなきゃ、その時は・・・

それこそ、この「仮面ライダー響鬼」という作品は、 全29話で終わった話なんだと結論づけるしかないですね(^^)

**************************

ここまで読んでいただけた方、ありがとうございました。
なんか結構な長文になってしまって・・・
書き上げるのに、4日もかかる始末です(T T)

まあ、で、最後に何を言いたいかっていうと、

前回・今回と

方向性が違うので、いろいろ違和感はあるけれど、でも作品自体は真摯に作られている

ということなんです。

ですから、
もうちょっと。
ほんのちょっと。
広い心でご覧になっていただきたいと
(別に現スタッフを弁護しているわけではないですよ)

なんか、「もう観るのやめる!」とまで書かれているのを見ると悲しくなってしまって・・・

そんな方々になんとか翻意してほしくて、こんな内容になったというのがあります。

もちろん好き嫌いという点はいかんともしがたいしたいのですが、それでも

「仮面ライダー響鬼」という作品を愛しているなら、その行く末を見届ける

というのも、ファンの愛情の表し方だと思うのですよ。

で、私は、どんな結末を迎えようと、最後まで見るつもりだし、 他の方々もそう思っていただけるといいなあと思うのですが・・・

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Comments [22]

No.1

お疲れさまでございます。渾身のレビュー、真剣に読ませて頂きました。

今の響鬼の方向性が、特に旧響鬼の雰囲気を望んでいる人には合わない、という点はよく言われることですが、それをしっかりと文章に倒し、しかも中立的な立場で言及したレビューはあまり例がないのではないでしょうか?私自身の気持ちも含め、非常に考えさせられるレビューで、とてもためになりました。

どこに連れていかれるのか不安な気持ちは今もありますけれど、とりあえず今のスタッフも今なりに「何かを描こう」としているのは確かなようですから、そこを見定めることを忘れないよう注意してこれからも見ていきたいなと思いました。お忙しい折とは思いますが、この先も鋭い視点でのツバサさんのレビュー、楽しみにお待ちしております。(^^)

No.2

こんばんは。TBありがとうございます。

>>方向性が違うので、いろいろ違和感はあるけれど、でも作品自体は真摯に作られている

のもよくわかるんですが、

「作品自体は真摯に作られているけれど、でも方向性が違うので、いろいろ違和感はある」
という感じです。些細なコトバアソビですけど。

今回の話を見ていて、あきらちゃんの扱いを明確にしていなかったのは、確かに前半響鬼の至らなかった点である、というのは少し感じました。明日夢も煮え切らなかった、という批判も納得できるものがあります。

……でも、やっぱり……と思ってしまうんですよ。しょせん『高寺信者』な僕ですから。

最後は意地を見せてくれることを期待します。次のヒーローのためにも、次の次のヒーローのためにも。

No.3

こんばんわ。今回のレビュー非常に楽しみにしておりましたし、興味深く拝見いたしました。

 私は、今回の話について、今回の各キャラクターの描き方について、肯定派です。(他に居るかはわかりませんが)
 特に前回と合わせ、明日夢パートをここまで掘り下げている回は中々無いのではないかと。

 あきらに関しても、彼女の性格を考えるにあれ以上内面を外に出さないのではないかと思います。
 それ以前に、こと明日夢パートに関しては、前期・後期ともに明日夢による一人称の物語として貫かれていると思います。なので、特に自分で抱え込むタイプのあきらの心理描写は、必要最小限に抑え、明日夢=視聴者に考えさせる、という手法をとったのではないでしょうか。
 
 確かにヒビキさんの描き方、ツバサさんの仰るとおりでしたね。私は、明日夢や京介を慮るからこそ、はたから見れば軽薄なほど突き放した態度をとるのかなぁ、などと思ってみていました。

 個人的には、今回のラスト、「ついてこないのか?明日夢、京介」のセリフとイブキ・あきらにきちんと一礼する二人の少年(しかも京介のほうが若干先に)というシーンは、「響鬼」の中でも名シーンの一つになるのではないかと思います。

 中立という立場はむずかしいと思いますが、数ある響鬼の感想を載せているブログの中でも、ツバサさんのお考えはかなり冷静で熟考されているのがわかります。だからきっと、コメント欄にも賛否両論集まるのでしょうね。
 今後も期待しております。

No.4

>そういう"ひのき”である彼を、”悩む人”と描くことに違和感があるのだと思います。

うーむ、ヒビキさんって、そんなに理想化された人物?なのでしょうか?
悩みも苦しみも超克した人物なんてそれこそ薄っぺらい「大人」と書いた置物でありただの物語上の「道具」でしかないと思うのですが。
あるいは、自分はもうそういう悩みを超えたところにいるけれども、
他人をそういう境地に連れていきたくない(そこに至るまでに想像を絶する苦しみとかもあっただろうし)という考え方は出来ないものでしょうか。

あと、

>なんか、「もう観るのやめる!」とまで書かれているのを見ると悲しくなってしまって・・・

どうも、この辺がよくわからないのです。
見たくないものを無理に見て文句を書くことを
目的にするような人は見なければよいと思うのですが。
そうすることで視聴率や関連商品・DVD等の売り上げが下がれば路線変更が失敗だったという
そういう人の望む結論に近づけるというのに。
どう言い繕ったところで、「初期路線への復帰を希望する」というのはそういうことでしょう。

新路線を支持する方にしてもそんな人たちはいない方が楽しめますしね。

No.5

あ、すみませんが書き忘れが一つ。
 先日、数ヶ月ぶりに友人に合い、響鬼の話をしたのですが、彼は今回のP交代・路線変更騒動を全く知らなかったようです。
 彼も私と同様、1乃巻から見ている相当なものですが、ネットなどで情報収集などはてんでしていないので、今回のことも私から聞くまで全然知らないで、気にもしていなかったようです。路線変更後のことも、ただ「響鬼及び紅がかっこよすぎる分、装甲響鬼がいただけない」とだけ言っていました。
 私を含め、ディープになればなるほどいらない情報も手に入れてしまうし、そういうブログなどをたくさん見ていると、つい皆路線変更に気が着いていて、何か考えがあると思ってしまいがちですが、実際には大多数の「浅い?普通位」の視聴者は、気づかないでいたり、ちょっと変えてきてるかな?なんて思ったりしているくらいなのでしょうね。
 もちろん、如実に変わった!!と感じている一般層やお子様もいらっしゃるのでしょうが・・・

No.6

いくつかの違和感、おっしゃるとおりです。
30話から共通して言えるのは“違和感”なのだと読んでいてすごく思いました。どうしても新路線を受け入れられないのは、やはりこの違和感なのでしょう。見ている途中の違和感、見終わったあとの違和感…。
この違和感が感じられなくなるには残りがあまりにも少なくなりすぎました。
旧路線復活の願いが叶うことを祈るばかりです。
※STNという方はいささかひどすぎる感じがしました。たしか38話のコメントでも偉そうで、何様なんだろうと感じました。せっかくツバサさんがやわらかくしているのに、見なければよいなどと言うのはいかがなものでしょうか。初めのころの響鬼に魅せられた人は、いつになろうと何とか戻って欲しいと願っているのです。だからこの運動にのすがりたいのですよ。ツバサさんはそれも分かるというような感じでいらっしゃるのです。
運動が成功することを祈ります!

No.7

今回の、あきら編で(とひとくくりにしていいものか・汗)これまで漠然とした印象であったものが、確信になったものがあります。
最初の印象は、劇場版「響鬼と7人の戦鬼」の、あきら役の秋山嬢の役柄でありました。え?イブキの弟子の彼女が、それも美少女が、出番あれだけ?ああいう役柄?ふえ?ってなもんや三度がさ。イブキも意外でしたが、まぁ、番外編だし弾けててイイかなと思ったのですが、なんつうか。その殿様を影から支えるクノイチとかそういうのだってアリだったんじゃないの??というのがあってね。
で、当時は、多分、井上敏樹氏は、あまり本編をごらんになっていないのだろう、だから、あまりイブキとともに動いているアキラというものがイメージできていないのだろうと思っておりました。だけど、今回のこの扱いで、結局、井上敏樹氏には天美あきらというキャラは把握できなかったのだろうな、という確信が私の中に芽生えております。

旧響鬼のなかで、あきらの父親も鬼で、どうやらそのひとはもう故人らしいということが匂わされる回がありました(河童の回でしたか)、今にして思うと、多分、あきらに一番近いキャラってGAROの冴島鋼牙ですよ。父を慕い、父を敬い、ゆえにその跡を辿りたいと思っている。う?ん、今頭の中にものすごいコラボ妄想が浮かんだなぁ。イブキくんを殴るのはザンキさんではなくて、コウガくんであるほうがよかったのじゃないか?(いかにも殴りそうだし)むしろ、ザンキさんは、それをポカ?ンと見送っているほうが似合う……ええ?とっ、失礼しましたっ。
ただ、今回、千々に乱れ(させられ)るあきらを見ていて、今あきらに必要なのは「ぶれるな!」という言葉で、それを最も強く抱いているキャラってコウガ君あたりしかいないんじゃないかと、そんなことを思ったりしましたねえ。ええ、とんでもない妄想なんですけど…。

実を言えば、物語において、始め何者でもない主人公が、なにか特定の状況に身を置いた場合、すでに、その状況下にある別の登場人物がリタイアするということは、そんなに珍しいことでもないので、いまだ「弟子のいない鬼」に出会った明日夢に対応するかのように、「鬼の弟子」であるあきらが出てきた時、あ、これはもしかして、彼女は途中でリタイアするのかも…とも漠然と思ったのですが、それは、あくまで、明日夢との対比によってだと思っていました。ヒビキにあこがれ、素敵な男性に一歩でも近づきたい、その気持ちがたまらなくなって溢れてきたとき、明日夢はヒビキへの門をたたくのだろうなと。その過程を間近に見て、自分の中の仄暗い何かに気づかされて、あきらは、自分自身に対する気持ちに揺らぎを生じさせていくのかな、それが結果、彼女に何か悲しい結果をもたらすのかもしれない、そんな風にね。
でまぁ、物語は、確かに、あきらの中の「仄暗い何か」を見せてくれましたけどね、う?ん、あの描き方ではイマイチですね、私は。
まぁ、要素的にはわかるけど、物語化には失敗しているかなと思えるんですよ、30話以降はすべて。

あと、へんな話ですけど、違和感といえば、映像面でもあるんですよねえ。些細なカット。たとえば、甘味処「たちばな」の外観のカット。29話までと、30話以降では変わりましたよね。あと、明日夢の部屋を捉える際のアングル。以前はベッドの向かい、勉強机の左隣上部から撮っていたのが、30話以降ではベッドにカメラを据えて撮ってますよね。こういう些細なコトが気になって気になって気になって気になって仕方ありません。

No.8

あの、横レスになってしまいますがandy22@綾川亭さんの仰るカメラアングルなどのことは、ちょっと気にしすぎではないでしょうか。そのようなことを言い出したら、30話以降なにも新しい演出が出来なくなってしまいます。それでは番組自体が「新生」をとめてしまうことになりはしませんか。

 話を広げてしまってツバサさんには申しわけないのですが、最近新体制否定派の多くの人が、自分の思い描いている「響鬼」と違う、と喧伝されているわけですが、たとえばキャラクターについても、たかだか半年間、毎週30分だけ、個々の人物についてもせいぜい15分づつしか覗いていない人物について、何故にこうもその人格をすべて知っているようなことをいえるのでしょうか。
 現実に、たとえば10年来の親友だって分かれないことはたくさんあるはず。今日突然、親友が自分の思ってもみない行動を、いとも当たり前のように取ったとして、それを「人が変わった」とは思わず、自分の知らない一面が有ったのだなぁと感じるだけだと思います。

 ツバサさんのように中立的な視点で新旧を比較検証されることには共感いたしますが、新体制否定派の方の多くが、まず中傷ありきで掲示板に書き込まれているのを拝見すると、正直憤りを感じることもあります。
 それは新旧を変わらず応援しているものにとっては、STNさんの書き込みに不快感を感じる新体制否定派の皆さんの感情と、方向性さえ違え同じものだと思います。

 少々長文かつ直接的すぎる文章になってしまいました。申しわけありません・・・

No.9

>あの、横レスになってしまいますがandy22@綾川亭さんの仰るカメラアングルなどのことは、ちょっと気にしすぎではないでしょうか。そのようなことを言い出したら、30話以降なにも新しい演出が出来なくなってしまいます。それでは番組自体が「新生」をとめてしまうことになりはしませんか。

石田豊武さん。あらためまして、はじめまして、andy22です。
まさに、想定どおりの疑問、提示てくださってありがとうございます。
実を言うとですね、私は、ああしたカットのアングル変更、何故そんなことをすべきなのか、大いに疑問なのです。
だって、この番組は、一年間でトータルの統一したテレビシリーズなわけでしょう? で、「たちばな」も「明日夢の部屋」も、その話一度限りのどーでもいい場ではありません。レギュラー舞台なんです。それを、何故、わざわざ異なるとりかたをしなくてはならないのか? あたかも、シリーズがそこで路線変更したことを印象付けるかのように?

映画とかね、見つけておりますと、ほんとに、作家ごと監督ごと、風景といい、小物といい、撮り方に特徴というものがあり、たとえば色彩一つとっても個性というものは出るものですよね?「タケシ・ブルー」とか。はたまた、この撮り方はこの人にしか撮れないという画像があって、撮影監督クリストファー・ドイルの手がけたものってほんとソレとすぐわかるじゃないですか。
同様のものが、「響鬼」の甘味処「たちばな」の全景カットや、「明日夢の部屋」の捉え方にもいえると思うんです。やはり、一度始めたのなら、シリーズ全体の統一感をはかるために同じものを使いつづけてほしかったと思うのですよ。いや、使いつづけるべきだった。
しかしね、それがダメだったというのなら、無論、シリーズ中盤で改めるにしくにありません。では?私が例に挙げたカットが、ずば抜けて悪くて、作品そのものを損ねているというほどのものだったでしょうか?
繰り返しになりますが、こういったカットのアングル変更、路線変更など意識させたくなければ行わないほうがよかったのです。シリーズ全体の統一感のためならばね。
石田さんはアレがそんなにすばらしかったですか?「響鬼」という作品の質の底上げを、あれで図れたとお感じになっておられる? 
私は逆なんです。たとえば甘味処「たちばな」のカットは、以前のものには安定感がありました。それは、「たちばな」店内の雰囲気、ひいては、そこに集まる〈猛士〉の人々の雰囲気をも表していると感じられました。しかし、現在の、お店の屋根の妙な角度からとらえたりするのは、不安定です。まぁ、人間関係の和を乱されている現在の鬼ぃさんずの象徴と捉えられなくもありませんけど(笑)

そして、「そのようなことを言い出したら、30話以降なにも新しい演出が出来なくなってしまう。それでは番組自体が「新生」をとめてしまうことになりはしないか」とおっしゃるが、繰り返しになりますが、シリーズ全体の統一感まで犠牲にして図るような演出、それは新しいのではなく、ただ単に統一感を乱すのみであり、また「響鬼」のいう「新生」というものは、こんな小意味のない小細工によってもたらされるものではないと思います。
いじる必要のない部分をいじり倒しているヒマがあるとも思えないんですけどね。

石田さん、30話以降、「現行響鬼」を容認される方々から、我々のような旧響鬼ファンのあらゆる言説をすべて否定的なもの、揚げ足撮りなもの、抽象的なものと捕らえる向きがあるのは存じておりますが、しかし、私の行ったカットアングルのごとき指摘は、旧・現の嗜好的、感情的なものを超えて、純粋に、通年テレビ番組「響鬼」として見た場合、演出としてどうなのか?というものだと捕らえていただきたい。
旧か現かはさておいて、繰り返しになりますが、あのようなカットアングルにすることに意味はあったのか?それをすることによって番組は新しい魅力が加味され、視聴者の好感は高まったのか?それとも、単に統一感を損ね、ブツっと番組がそこで一度中断させられたことを刻印するのみだったのか?虚心坦懐に考えていただきたいと思います。
また、現行響鬼に対して、とにかくスタッフはがんばっているんだから、と批判的な発言の一切を控えているかのようなブログや掲示板を見かけるんですが、私はそういうのはどうかとも思いますね。まぁ、批判的なことをいえば、即「旧響鬼信者!の中傷だ!」といわれてしまうようなご時世ですから、口が止まってしまうのも分かりますけどね。特に、スタッフが、意味があるんだかないんだか分からないような演出や、カット、撮影などをしている場合は「勉強せい!」「そんなものに何の意味がある!」ということは叱咤激励の上からも必要だと思いますが。

No.10

andy22@綾川亭さん、私の失礼な発言に返答有難うございます。
 ツバサさん、家主を無視して話を進めてしまう形になってしまい、申し訳ありません。

 私としては、たちばなにしろ明日夢の部屋にしろ、そこに空間があるのならば360°使ったほうが良いのではないかと思います。
 前回の場合、明日夢の部屋で親子が一緒に洗濯物をたたむ、というシーンにおいて、たしかベランダが写っていたように思います。おそらく、あの位置からでしか捉えられなかったのではないかと思います。これによってあのベランダから洗濯物を取り込み、畳んでいたのだと前後の行動を想像させることが出来るのだと思います。

 かように、その場面をより良く見せるためならば、どんな場所からどのように撮っても構わないというのが、私の考えです。
 さらに言えば、確かにプロデューサー(=総監督)は高寺Pであり白倉Pですが、各話の演出・編集を担当されているのは各々の監督さんです。それぞれ違う個人ならば、演出に差異が出てくるのが必然であるはずです。
 高寺Pの手法は、全体のシリーズのために個々の個性をなるべく出さない方法だったそうです(これについては、きだつよし氏のブログからもなんとなく感じられます。なんとなく、ですが)。
 対して、白倉Pの手法は個々のスタッフに多くを任せ、自分は各々がやりやすいように手配するという仕事の仕方だそうです。
 どちらが良いとは言えませんし、一長一短だとは思いますが、私としては、それぞれのスタッフが存分に自分らしさを出せる現場のほうが、好みです(あくまで好みの問題です)。
 私はあまり気にしていませんでしたが、andy22@綾川亭さんの仰るような演出の差が有るのならば、それは今回の監督・金田治氏が「やりたかった演出」なのでしょう。
 統一感を求めるか、さまざまな作り方が出来る幅を求めるか、これは本当に作り手・視聴者の好みで違うのでしょうが、どちらにしても否定するには当たらないと思います。

 尚、
 >批判的なことをいえば、即「旧響鬼信者!の中傷だ!」といわれてしまうようなご時世ですから
 と仰いますが、お互い様ではないでしょうか。何か今までと違うことがあると、中には話を進めるために必要なことでさえ、「新体制が作品を壊した」と言われるご時勢でもありますから。

 尚、スタッフに対しての叱咤激励に関しては、良いことだと思いますよ。
 ただ、私は(あくまで私は、です)社会に出て、まぁある分野で給料をもらうプロの端くれになって気がついたのですが、プロがやっていることに意見を言えるのは同じ道のプロだけだ、と感じています。個人的なことですから、他の方々にこの考えを押し付ける気はありませんので、聞き流していただきたいところなのですが。

 おそらく、ですね。andy22@綾川亭さんと私がこれ以上議論を重ねても、結論が出る前にツバサさんの迷惑になってしまうと思うのですよ。
 言い出しておいて申しわけありませんが、とりあえずここまでとしておきませんか。
 失礼な書き込みをしてしまったことには、重ね重ね陳謝いたします。

No.11

どーも、ツバサです。

コメントのお返事遅くなっててすみません。
響鬼のレビューにいただけるコメントって、ホント中身の濃いモノが多くて、ついついしっかり考えてお返事せねば!と思って考えていると、どんどん遅くなってしまっております(^^)

としているうちにも、次々と新しいご意見が(汗

なんとか今一生懸命考えておりますので、もうちょっとお待ちいただければ幸いです。

あと石田さんのコメントで

>おそらく、ですね。
>andy22@綾川亭さんと私がこれ以上議論を重ねて
>も、結論が出る前にツバサさんの迷惑になってしまう
>と思うのですよ。

とありましたが、別にどんどん議論を重ねていただいても構わないですよ。
私も興味深く読ませていただいていたので(^^)
相手に対する思いやりというか書き方の配慮さえ気をつけていたければ(その点はお2人には全然心配していないのですが(^^))、意見交換はどんどんやっていただいていいと思います(^^)

読んでいる人も興味あると思いますので。

No.12

こんにちは、天です。

見た後はっきりいって落ち込みました、そしてだんだん怒りに変わり、ちょうど四十之巻でコメントを送る前に見たので四十之巻でのコメントは桐矢についてかなり感情的になってしまいました。
やっぱり今でもおかしいんじゃない!と思うし、桐矢の事も嫌いという感情は消せません、でも四十、四十一之巻でのツバサさんのレビューを何度か読ませてもらいだんだん気持ちが落ち着いてきてこういう見方もあるんだなぁと、ただ目にしたものだけでなく、納得のいかない展開にただ怒るのではなく、角度を変えてといいますか最終回までじっくり見ていこうと思えるようになりました。

(今日の四十二之巻はそれなりにおもしろく見る事ができて良かったかなと思います、レビュー楽しみにしてます。)

No.13

連続で失礼します。

あきらちゃんの引退についてですが、

>再び“鬼”として始まるあきらが見たかった。

私も見たかったです。
イブキくんの元で再び修業を始めるあきらちゃんの姿を・・・

“復讐”という思いを克服して立派な“鬼”になっていく方向にいってほしかった、『やめる』というのは全く想像してなかったし本当に残念でした。    そういう設定に決っていたとしても、やっぱりちゃんとした説明がほしかった。

で、思ったんですが、

今まで出てきたライダーシリーズでの女性ライダー(戦士)はストロンガーの「タックル」龍騎の「ファム」、剣の「ラルク」、響鬼の「朱鬼」と昭和平成合わせて4人しか出てきてません、そして全員“死”という結末を迎えています。
ファムとラルクは映画のみのライダーでしたが、たとえ映画のみでもなぜ短命にしてしまうのかと、あきらちゃんはやめるという結末でしたが、修業中でも鬼としての期間は短いですよね。やっぱり女性をライダーにすると話の展開としては難しいのか、あくまでもライダーを支える側(ヒロイン)という始まった頃からの流れを崩したくないのか(崩せないのか)と思ってしまいます。

実は再び仮面ライダーシリーズが始まりクウガを見ていくうちいつかは“女性が主役”の仮面ライダーシリーズができないかと思うようになりまして今でも特撮ドラマの主役は男性が多いのが現実です。 でも、そろそろ女性がヒーローになってもいいような気がするんですよね!
TVシリーズで難しかったら単発でもいいので実現してほしいです!

また長々とすみません
書きたい事が多くてつい長文になってしまうんですよね、ちなみに「オダギリジョーと五代雄介」にコメントしましたので見て頂けたら嬉しいです。

No.14

石田さん。こちらこそ丁寧なレスありがとうございます。ご返答をしようと考えつつも、日曜、自分のブログさえ更新できないようなありさまだったもので、書きこみが遅れました。「いや、だからこれ以上は要りません。こちらは議論をするつもりはないのだから」と石田さんはお考えでしょうが、ツバサさんのご好意に甘え、あと少し投稿させていただきます。

>そこに空間があるのならば360°使ったほうが良いのではないかと思います。(略)かように、その場面をより良く見せるためならば、どんな場所からどのように撮っても構わないというのが、私の考えです。

基本的には私も同様の考えであることをご理解ください。たとえば、石田さんが例としてあげられた場面、これについては異論はないのです。親子で一緒に洗濯物をたたむという芝居の流れのなかで、ベランダが写りこむというのは必然です。まさしく、「ベランダから洗濯物を取り込み、畳んでいたのだと前後の行動を想像させる」それが映像の叙述です。それは当然であると考えます。しかし、私が前発言であげた二つの事例、「たちばな」の全景や、あるいは京介少年が明日夢の部屋にいるというシーンでの部屋の写し方には、その必然がないのです。特に後者において、旧時代の撮り方と同じ位置にカメラがあって何の差支えがあるのか、全く理解できません。

>さらに言えば、確かにプロデューサー
>(=総監督)は高寺Pであり白倉Pですが、
>各話の演出・編集を担当されているのは
>各々の監督さんです。それぞれ違う個人ならば、
>演出に差異が出てくるのが必然であるはずです。

実を言えば、私もかつてはそのように考えておりました。しかし、通年のシリーズ、それも一話完結というスタイルならいざしらず、ストーリーが連続しているドラマの場合、それは作りとして雑とみなされるべきではなかろうかと、かように考えるように至りました。
それには、年をとって、自分のドラマの見方が変わってきたということもあるでしょうが、厳しい見方をすれば、さほど実力のない、あるいは基礎のなっていない作り手ほど、個性と称して突出したことをして、全体のトータル感を損なわしめるのだということが最近になって実感されてきたからです。

その私の感覚・価値観からすれば、よりいっそう、高寺Pの手法が好ましいのは当然なのかもしれません。またシリーズ全体の統一感を重んじるその姿勢は改めて頷けますし、支持できます。

>対して、白倉Pの手法は個々のスタッフに
>多くを任せ、自分は各々がやりやすいように
>手配するという仕事の仕方だそうです。
>どちらが良いとは言えませんし、一長一短だと
>は思いますが、私としては、それぞれのスタッフが
>存分に自分らしさを出せる現場のほうが、
>好みです(あくまで好みの問題です)。

両プロデューサーのやり方、どちらかが正解ということはないと思います。恐らく、適する現場が違うということでしょう。
思うに、結局は、スタッフ全員が、取り組む仕事の内容、作り上げる作品のイメージをどこまで認識しきれているか、そこが要ではないかと思います。ある程度ツーカーであれば、現場に任せてもいいでしょうし、そうでないのなら、最終統括者がガッチリ仕切る、ということだろうと思います。

私は、スタッフが十分に作品を理解していた、一つの幸せな事例を知っています。アニメ「カウボーイビバップ」その第13話「ジュピター・ジャズ(後編)」で、主要キャラの一人が、雪原で、その場から去ろうとする途中でコケるという場面があります。これを放送当時みた我々ファンは誰しも、始めからあった演出なんだろうなと思っていました。ところが、後に効いたところでは、これは脚本にも絵コンテにもなく作画が勝手にやったものだったそうです。しかし、それは実に巧くハマっていた。そのキャラらしさに溢れ、その作品らしさを高める、とにもかくにも実に巧みな仕事であったと。ゆえに、監督に渡辺信一郎という御仁は、仕上がってきた作画をザッパザッパと削るような人だったのに、それを使ったと。

私はこういう仕事は大変に素晴らしいことだと思っています。それが上から下へではなく、スタッフの隅々から上がってくるというのが。とにかくアニメ「ビバップ」についてはこういう逸話に溢れています。そうしたことが可能であった一つの理由として、彼らが大体おなじ世代で、また趣味が近かったということが挙げられていますね。たとえば、贔屓の監督は違うけど、映画好きだとか、贔屓のアーティストは違うけど、洋楽好きだとかね。一言で言えばセンスを同じくしていたのでしょう。とにかく「ビバップ」に関しては、回が進むにつれて、作ったものを目の当たりにし、監督が何をしたいのか、何をやろうとしているのかをスタッフが理解し、阿吽の呼吸が出来あがっていったようです。だから作品に何がいるのか、何が似合うのか、ツーカーだったと。

この例から考えるに、響鬼スタッフは、高寺Pのプランするものを共有することができなかったといえるのかもしれません。また、それは高寺Pが成すべきことを成せなかったということだとも思います。
そして、私が思いますに、白倉Pになって、結局、スタッフが作っているもの、彼らが年頭にイメージしているものは、結局、「東映テレビ特撮」「平成仮面ライダー」そういうくくりでしかないのかな、ということです。
何度も引き合いに出す「たちばな」全景や、明日夢の部屋のカメラ位置ですが、旧のようでなくなってから、私には既視感がありました。こんな映像をみるのは始めてじゃないぞという…同じようなアングル、同じような仕上がりの画面、私は過去数年間、この日曜朝のライダーの枠で何度となく見てまいりました。とりわけ、去年の「ブレイド」の、主人公たちが寄宿する家の室内の捉え方とよく似ていたとさえ思います。
彼らに任せるのはいいのか悪いのか。実際のテレビ番組は、スタッフの練習台に使うには、金のかかりすぎる学校かもしれませんね。

No.15

>ただ、私は(あくまで私は、です)社会に出て、
>まぁある分野で給料をもらうプロの端くれになって
>気がついたのですが、プロがやっていることに
>意見を言えるのは同じ道のプロだけだ、
>と感じています。個人的なことですから、
>他の方々にこの考えを押し付ける気は
>ありませんので、聞き流していただきたい
>ところなのですが。

すみません。聞き流さず、こんな風に取り上げてしまって(平身低頭)

しかし、これは大事なポイントだと思うのですよ。ありとあらゆることに関連して、玄人と素人と、何かものをいえるのは、同じ道の達人なのではないか。私も考えます。となると、私のような市井の主婦にはどんなものごとに対しても、何もいえなくなりますわいなぁ(笑)

冗談はさておき、エンターテインメント、こと、舞台の分野において、次のような言葉がございますね。
「観客が役者を、芝居を育てる」
生まれたときから役者になることを宿命だてられた歌舞伎のそうそうたる役者でさえ、こういうことを仰います。
建前なんでしょうか? へりくだって従順に見せているだけなんでしょうか?
いや、やはり、私には、このことには真理があると思うのですよ。
歌舞伎をそのまま例にとれば、およそ400年前誕生し、江戸時代の民衆の娯楽として、つねに民衆に寄り添い成長してきました。歌舞伎の役者や出来立ての芝居が、まだ熱いうちの鉄だったとすれば、それを鍛えたのは観客でした。そうして数百年、観客の支持を失わずに残ってきたものが現在、世界に誇る日本の伝統よ無形文化財よと誉めそやされるに至ったのです。
無論、通や粋人といわれる人が観客の柱ともいうべき存在でしたでしょう。そうした柱をもちつつ、大多数の庶民たちは、けっして役者のプロでもなんでもなく、生活の潤いとし芝居を愛し贔屓にしていったのです。

私は、そうした観客のはしくれとして、今日も自分の愛するすべてのものを鑑賞します。アニメであれ、映画であれ、漫画であれ、小説であれ、ドラマであれ、特撮であれ。そして、素晴らしいと思うものには、心からの賛辞を送り、作品の支持を表明し、生涯を通じて語り継ぐでしょう。そうすれば、その作品は、永劫の命を得ると思うからです。

No.16

こんばんわ!>てりいさん

いつもお世話になっております。
お返事ホントに遅くなってしまってすみません。

>私自身の気持ちも含め、非常に考えさせられるレビューで、とてもためになりました。

いえいえ、私のほうこそ、てりいさんのレビュー読ませていただいて、かなりインスパイアされることが多くて・・・
こちらこそ、お礼言いたい感じです(^^)

>とりあえず今のスタッフも今なりに「何かを描こう」としているのは確かなようですから

そうですね。
とかく感情的になりがちなんですけど、しっかり彼らが描こうとしている狙いは見つめていきたい・・・
と思っています。
それが好みかどうかはさておいて、少なくとも最終回までは。

>この先も鋭い視点でのツバサさんのレビュー、楽しみにお待ちしております。(^^)

そう言っていただけると激しく励みになります!
なんとか早めに書き上げるようにしていきたいです・・・(^^)

No.17

こんばんわ!>翠さん

いつもコメントありがとうございます。
お返事遅くなってすみませんです(T T)

>些細なコトバアソビですけど。

なるほど?。
私も気持ち的には、後者みたいな感じかもしれません。
なんかポジティブな書き方をしたくて、記事みたいな書き方しちゃうんですけど。

>今回の話を見ていて、あきらちゃんの扱いを明確にしていなかったのは、確かに前半響鬼の至らなかった点である、
>というのは少し感じました。明日夢も煮え切らなかった、という批判も納得できるものがあります。

前半響鬼にも、弱点というか問題点はたくさんありますよね。
・・・・でも。
それを差し引いても、前半響鬼の方が”好き”ですねー。私も!

そう、基本的には、好き嫌いの問題のような気がするんですよ。

>しょせん『高寺信者』な僕ですから。

は!

私も今まで、全然意識していなかったですが、

響鬼・クウガ・ギンガマン・カーレンジャー・・・

高Pの作品、全部フェイバリットです・・・

実は私も高寺信者なのかあ・・・(^^)

No.18

こんばんわ!>STNさん

コメントありがとうございます。
お返事おそくなってしまって、すみません(T T)

>うーむ、ヒビキさんって、そんなに理想化された人物?なのでしょうか?

”ひのき”って書き方がまずかったかなあ?

私が言いたかったのは、

”現在形で様々なことに悩む明日夢たち”と

”過去において、それらの悩みを自分の力で乗り越えてきたヒビキさん”

このコントラストを捨ててほしくなかったってことなんです。

STNさんが仰るように、ヒビキさんは確かに完全ではない人ではと思います。

でも、私は明日夢視点での、目標・憧れの位置に、ヒビキさんをずっと置きつづけてほしいし、
番組自体(視聴者自体)の視点も、その明日夢の視点で追いつづけてほしかったと思うのです。
そうすると、ヒビキさんの弱い点を描くというところは、それにうまくはまらない・・・という気がするのです。

>そうすることで視聴率や関連商品・DVD等の売り上げが下がれば路線変更が失敗だったという
>そういう人の望む結論に近づけるというのに。

こ、これは・・・
まさしく、STNさんの仰ることが正論ですね。
確かに、「現路線を駆逐し、初期路線への復帰を希望する」ならば、そうするのが本当なのかも。

でも、できないのが、私の性格なんです・・・(T T)

No.19

andy22@綾川亭様、気を使わせてしまいまして、申し訳ございません。決して議論を拒否しているのではないのです。ただ、私のような者の言葉にここまで耳を傾けていただいて、正直戸惑っているだけなのです。

 たちばな・明日夢の部屋に関しては、元々私は全く気づかなかった点でしたし、今でもカメラアングルに関しては以前の書き込みの思いのままではあります。
 また、プロの仕事云々は、これは言い過ぎでした。反省しております。
 私自身の、個人的な見方としては書き込みの通りではあるのですが、他の色々な見方、立場を全く無視した言い分となってしまいました。勢いでまとまっていないことを書くもんじゃありませんね。
 私は図面書きでして、たとえば古い図面などを見たときにですね、「ここはこう書いたほうが良いんじゃねぇの?」なんて小バカにしていると、あとで実は前の書き方でなければいけない理由が判明し、落ち込むなぞと言うことが多々ありましたので、まぁ上記のような考えに至ったという訳です。

 まぁ、こちらで前述のように書き込みは致しましたが、今週放送分でandy22@綾川亭様の仰りようも致し方ないかとも考えております。
 あくまで私にとってはギリギリ補習すれば単位を与えても良いかという感じなのですが、見る人が見れば、絶望するのもやむなしか。
 
 つらつらと書きましたが、何も私は「否定派」を否定するものではありません。しかしながら、響鬼ファンの中には、幾ばくか前期・後期にとらわれず愛している人もいます。どうかそれだけはお察し下さい。

 あと、私も「ビバップ」好きです。時間の関係で、マッシュルームの回までしか見ていませんが。
 
 え?と、一応ツバサさんも次の分のレビューを上げられてますし、こちらでの議論はここまでに致しませんか。
 今回の議題(?)は、おそらく平行線か、きっと最後には私が負けると思います。人生で口で勝ったためしはない人間なので。(いや、腕っ節でも勝てませんが)
 今後また、何か私の書き込みで至らないところがありましたら存分に突っ込んでください。書き込んで・・・いいですか?ツバサさん。

 andy22@綾川亭様、私の気がつかなかったところを色々ご指摘いただきまして、本当に有難うございます。感謝!しています。

No.20

こんばんわ!>HKさん

コメントありがとうございます。
お返事遅くなってすみません。

>30話から共通して言えるのは“違和感”なのだと読んでいてすごく思いました。

そうですねえ。
狙いがよくわかるところもあるのですが、どうしてもそういう点が目についてしまいますね。

>旧路線復活の願いが叶うことを祈るばかりです。

今もちらちらと、そういう匂いが残っているところはあるんですよね。
そういうところを生かしながら、新しい面を出していく・・・
そういう風になれば良いのですけど。

でも確かに仰るとおり、残り時間が少ないかなあ・・・

しかし、最後までしっかりと見つづけましょうね!

No.21

こんばんわ!>天さん

コメントありがとうございます。
お返事遅くなってすみません・・・(T T)

>角度を変えてといいますか最終回までじっくり見ていこうと思えるようになりました。

そう言っていただけると、すごくうれしいです!
がんばって書いたかいがありました・・・(感涙

>“復讐”という思いを克服して立派な“鬼”になっていく方向にいってほしかった、

あきらに関しては、全く同感です。
ただ、42話で、あきらの食べていた”手作りお弁当”を見て・・・
現スタッフが、あきらのことを決して、いいかげんに描いているわけではないんだな。
とも思いました。

私たちの願う方向とはちょっと違いますけれど。

ですから、これからの話であきらがどう描かれるか?に注目してみたいと思っています。

>“女性が主役”の仮面ライダーシリーズができないか

これは私も全く同感です!
今後は少子化がますます進んでいくみたいですから、特撮も”女の子”ファンを意識しないと!とは思います。
ああ「セーラームーン」実写版が大成功していたらなあ・・・そしたらライダーでも可能性は高かったかもしれないのに。(個人的には、かなり好きな作品なんで残念)

No.22

石田さん
andyさん、こんばんわ!

すごい数のコメント&レスありがとうございます。
やりとり興味深く読ませていただきました。

遅くなりましたが、お二人のやりとりにのっかる感じでお返事したいと思います。

まず、アングルの件に関して

私的には、そんなにスゴイ違いは感じなかったのですが、たちばなの概観とか、
今の方が、じゃっかんフカン・引き気味に撮っているような印象はありましたね。
(言われてみれば程度ですけど)

で、その違いを許容できるかどうかですが、
やはりその構図に”狙い”が込められているか?
か重要だと思うんですね。

いや、構図だけの問題ではないですね。

お話にしても、キャラクターの描き方にしても、
そこに何らかの作り手の意図がかいま見えれば、
今までと方向性が異なっても、”理解”はできるのです。

でも、それが見えない時がたまにある。

それがandyさんや私なんかの苛立ちの原因かもしれないですね。

今のところ(42話まで)では、

私も、andyさんの

>彼らが年頭にイメージしているものは、結局、「東映テレビ特撮」「平成仮面ライダー」そういうくくりでしかないのかな、ということです。
>何度も引き合いに出す「たちばな」全景や、明日夢の部屋のカメラ位置ですが、旧のようでなくなってから、私には既視感がありました。
>こんな映像をみるのは始めてじゃないぞという…同じようなアングル、同じような仕上がりの画面、

この意見に、全く同感です。
否定はしませんけど、明らかに響鬼的なもの(完全新生)とは異質だということですね。

でも、私は旧響鬼は大好きですが、それを絶対視(神聖視)もしたくないです。

>統一感を求めるか、さまざまな作り方が出来る幅を求めるか、これは本当に作り手・視聴者の好みで違うのでしょうが、
>どちらにしても否定するには当たらないと思います。

という石田さんの意見に共感するのですが、本当にしっかり考えられているものなら、否定することなくそれをまず冷静に受け止めてみるべきなんですよね。
その上で、自分の好みかどうかを発信すればいいと。
それと、一方的な”否定”とは違うと思いますので。

>新体制否定派の方の多くが、まず中傷ありきで掲示板に書き込まれているのを拝見すると、正直憤りを感じることもあります。
>それは新旧を変わらず応援しているものにとっては、STNさんの書き込みに不快感を感じる新体制否定派の皆さんの感情と、
方向性さえ違え同じものだと思います。

石田さんのこの発言にも同感です。
私の場合は、憤るというより悲しくなってしまうのですが・・・

ホント今のところの私の理想としては、旧と新の良いところが合わさって融合することなんですよね。
39・40巻あたりでは、それがうまく進んでいきそうな気がしたんですけどね・・・

でも、まだあきらめてないし、今後もずっと見つづけていくつもりですよ。ファンとして。

(なんか取りとめのない文になっちゃいました。なんかありましたら遠慮なく突っ込んでください(^^))

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